頭で考えるよりも身体で感じる重要性

 現代の急激な都市化が進むにつれ、子ども(私)たちを取りまく自然環境はますます拙劣化し、人工的なものとなってきている。 本来、子どもは、学習プロセスを促進するために、運動や感覚系への刺激を必要とするが、社会のテクノロジー化が進むにつれ、そうした機会が減ってきている。ゲームやTV、インターネットなど、偏った感覚的刺激にさらされる環境は、健全な脳の発育が阻害され、強いてはこの感覚の発達不足が学習障害につながり、“キレやすい”、我慢ができない、集中力のない子どもが増えるという図式である。



健全に発達した感覚こそが学習の土台

 豊かな自然環境のなか、五感を通して入ってくるさまざまな感覚情報を統合‐処理して行動につなげていく能力。この感覚運動処理能力は、野原を駆け回ったり、泥んこ遊びや木登り、虫取りや川で小魚を追ったりなど、一昔前は、日常の遊びや雑用のなかで、自然に身についたものだった。蝶一匹を捕まえるのに必要な能力は多岐にわたる。その生態を観察し、動きを予期し、網を動かし、飛んだり、跳ねたり、また、捕獲後の扱いも繊細さが求められるが、その蝶一匹でさえ捕まえられないのが現代の子どもである。



ケガをさせない教育の間違い

 野外の不安定な場で、転んで擦り剥いたり、痛いからこそどうやったら転ばないか、どうしたら怪我しないのか、怪我したらどうするのか子どもは学んでいく。転ばぬ先の杖は自分でしか学べない。さらにいえば、転ぶことでこそ大人になることに気づく。昨今の、“危ないとこには近づいてはいけない”、汚れることを許さない、きれいな公園で与えられた遊具でのみでしか遊べないでは、子どもから学ぶ権利を奪っている。そもそも、自由に遊びまわり、生き物を探し、触れ合える環境がいかに少ないか、いかに大切か、大人たちは真剣に考えるときが来ている。



なぜ自然体験か? ー体験活動の必要性ー

 自然は思い通りにはならない。暑かったり、寒かったり、雨や風など、いつだって条件は違う。ハチもいれば、ヘビもいるし、鹿や熊にはめったに出会えないけど、鳥はさえずり、きれいな花を見つけられることもある。いろいろな形があり、色があり、匂いがある。知らないことだらけで不思議だらけなのが自然なのだ。そうしたものが、複雑に絡み合い、調和しながら、循環され、生態系と成している。そこには多様性があり、一義的な優劣はなく、いろいろな生き方があり、すべて繋がっている。



生きることを学び、生かされていることを体感する。

 小動物や昆虫などを観察すれば、それらが一生懸命生きていることが理解できる。この生きることへの深い共感から、生物(他者)に対する愛情や優しさが生まれ、また、それらの生から頂く命があるからこそ、自らの存在が成しえることを理解する。 水や大気でさえ例外ではない。木々から発せられる雲を見るだけで、森から流れる冷たい水に浸るだけで何かを掴める。暗闇の中で蠢く小動物に耳をかたむけ、樹液に群がる多種多様な昆虫に見入り、朝陽に温もりを感じ、空気のおいしさを知り、草の葉に輝く朝露の一滴に宇宙をみる。これこそが“自然は体験することでしか理解できない”といわれる所以である。



日本人のこころと自然

≪何事のおはしますかはしらねども かたじけなさに涙こぼるる≫

 元来、見事な四季のある自然と共生してきた日本人は、そのありがたさに感謝し、神々をも見出し、文化と心を醸成してきた。四方を海に囲まれた国土の7割は森林であり、北には流氷が着岸し、南にはサンゴ礁が群生する世界で稀有な、豊かな自然をもつ日本。 “里山”は、今や英語でも使用される言葉だが、それは、自然を征服するのではなく、折り合いをつけ、調和し、うまく利用して生活する“術”を完璧なまでも具象化した様式で、そこには多様性が保全され、自然の一部となり、循環のサイクルに沿った誇るべき文明の基盤でもあった。








環境教育 ー環境問題解決へのアプローチー
〜あなたの食べているもの、飲んでいる水はどこからくる?〜

 エコロジーが叫ばれ、地球温暖化に象徴される環境問題は世界の喫緊の課題である。“地球にやさしく、自然を大切に”と言われるが、何を、誰が、どのようにとなると、我々の思考は停止する。すでに、市場経済の中、日本の消費するエネルギーの9割、食料の6割、木材の8割を海外に依存している。この膨大な輸入超過は、国内のエントロピーを高め、ゴミ処理ですら窮する事態だ。 また、忘れてはならないのが、世界は大気と水で繋がっており、急激な気候変動は一国では解決出来ず、資源も耕地面積も有限で、生物多様性は益々脆弱になってきている、ということである。エコと称して、あらゆるものを消費するまえに、それがどこから来て、どこにいくのか? なぜ自然を守らなければならないのか? そもそも自然とは何か?その大切さとは?

 環境問題の唯一の解決方法は自らを含む自然を理解する。

 身近な自然にふれることからはじまるのではなかろうか?


ぐんま山森自然楽校では

 群馬には利根川水系を支える山や森などの豊かな自然が数多く残っています。

 森林は県土の約70%を占め、古の時から森と人との関係が脈々と続いてきました。

 そんな自然と人との関係が崩れてしまっている今日、身近な自然の中で遊ぶ子どもたちの姿も見かけなくなりました。

 一方で、豊かな人間性を育むには自然の中で遊ぶことや、五感を使った時間が、その土台として必要であると見直されています。

 ぐんま山森(やまもり)自然楽校では、四季折々の群馬の森林(やま)のなかで、目の前に広がる身近な自然に触れ合いながら、ゲームをしたり、ハイキングや野外調理、観察会など、「たっぷり遊び、たっぷり学ぶ」そんな時間を共に楽しみたいという思いから、設立に至りました。

 そして、その「思いをかたち」にすることで、当たり前の身近な自然が、いつまでもそこにあるよう願っています。


2010年4月